silentdogの 詩と昼寝

詩をおいてるばしょ。更新はきまぐれ。

あさがお


毎年大きな花火大会があるという町の、隣町を訪ねた。午後2時に駅に着いた。駅のホームには、花火を観に行こうという人々がごったがえして、賑やかだった。すずしく華やかな出で立ち。動かない空気をうちわで扇いで風を起こしている。
 ホームに電車が入ると、すでにぎっしりと乗客が積まれた車両へ、あふれんばかりに居た人々はすっかり乗り込んでしまった。発車し、しばらくすると、レール伝いにわずかなきしみが聴こえるだけで、後はしいんとした。改札をぬけて、ぽつぽつと、次の電車にのりこむ花火客が入ってくる。その人たちの言葉によれば、次にくるのが、祭り開始時間に間に合う最後の電車らしい。車掌も観に行くのだ。
 改札を抜け、入った待合室には誰もいなかった。駅員に道を尋ねると、あわただしく何かの準備をしながら、あっちへ行って、そっちへ曲がって、と教えてくれる。

 

駅員さんも花火を観にゆくんですか。

いえ、いつもより早く帰れるんで。今晩改札を通るのは、駅から出て行く人だけなんで。


待合室を通り抜け駅舎の外に出ると、町が広がっていた。誰もいないのを、町自身も知っている。乾燥した熱い風が右から左へ、通りをぬけていって、その後を土埃が追ってゆく。生活の音はしない。ただ風が電線を切る音だけがした。
駅員に聞いた通りの道をすすむ。最初にテーラーがあった。古いすすけたウィンドウに、日に灼けて色あせた紳士服が飾ってある。きっちりと戸締まりされて、埃も熱もすべて抱えて、店内の温度が徐々にあがっているのが見える。次に食堂があった。のれんをしまいこんだのに、布の端が戸の隙間から出ている。匂いのない軒先に、匂いのない菜譜が佇んで、黙っている。
 いくつかの住宅をすぎて、角に交番がある。誰もいなかった。入り口が開かない。裏口に回ったが閉まっていた。この交番の角を左に曲がる。すると、藤棚のある公園、もちろんもう咲き終わって、緑の天井と豆のようなさやがぶらさがっている。町に舞う土埃は、この公園からやってくるのだろう。公園をすぎて、美容院をすぎる。美容院の窓辺には朝顔が蔓を巻いていた。あまりに静かなので、側溝をながれる水の音が聴こえた。誰も水を流すことのない午後。だから、その音はかすかだった。
 美容院から少し進むと、菓子屋があった。看板は錆びていて、揺れている。甘い匂いがしない。おそらく昨夜から、機械は止まっているのだろう。菓子屋の先の角を、右に曲がると神社がある。今日は誰にも祀られない。町の人たちがいなくなってしまう日は、土地の神の庇護は不要なのだ。
 神社の右隣に、わたしの訪問する場所がある。裁縫屋だ。高齢の婦人が、長く続けてきた裁縫で生計をたてている。わたしの祖母だ。死んで三年目になる。


立付けの悪い引き戸を、力を入れて開けると、あの熱風が外から吹き込んだ。ごめんください。しいんとしている。窓という窓から、午後のひかりがはいりこんで明るい。返事がなく、ただ埃がひかりの中にきらきらと舞っている。
裏の方へ回って、声をかける。朝顔が沢山育てられていた。祖母は朝顔が好きだった。こうして毎年育てては、種をとって、また来年の楽しみにするのだ。特に、青い花弁のものを好んだ。これは、わたしに通じる傾向かもしれない。わたしは青い花が好きだ。とくに夏に咲く桔梗が。
 案の定、祖母は朝顔に埋もれるようにして、鉢と鉢の間で草むしりをしていた。こちらに気づいて、顔を上げる。小さな丸い背中を起こす。着ている服の、首のうしろあたりは、汗で色が濃くなっていた。
 雨戸を開けて、ひろびろとした縁側に御座を敷いて座る。冷蔵庫から、冷えたお茶と、冷やさなくてもよかった菓子を出してきて、ようやく祖母は、いらっしゃい、と言った。菓子は固くなっている。


今日は誰もいないの、花火だから。泥棒が入り放題の町。わたしは勝手に留守を引き受けた気でいるの。おまわりさんから、お菓子をもらって。銀行からは箸と茶碗をもらって。おじいちゃんからはドライバーを預かって。甘辛さんからは鍵を頼む、って。


しゃらしゃらとその鍵を揺らす。わたしの家で虐げられていた祖母は、今とても幸せそうに笑い、話す。床屋さんからはカミソリを預かったのよ。わたしなんかを信用して、なんて不用心な。


地域にすっかり馴染んでいるのかもしれない。老いた人が新しい土地に移り、馴染んで行くことは、若いわたしたちが考えるより余程大変だったに違いないのに、あまりその苦労を感じさせない。生前もたしかに、そうした人だった。殴られ、罵倒されてきた数十年を、表面に至る直前ですっぱりと切り、人の前に引きずってこない人だった。祖母の苦しみや悲しみは、ほとんどの人が知らない。


え麩さん、楽しそうだね。


今日は相撲があってね。十両で、からだは細いけれどなかなか強くて男ぶりもいいのがいて、名まえはなんと言ったかしらね。


朝顔、ずいぶん咲いてるね。


去年より鉢を減らしたけれど。自分でとったほかに、あちこちで種をくれるから。もう前みたいにこの色のはこっち、その色のはそっちって分けてないの。もう混ざるだけ混ざってしまった。だから種をとっても、もうどの色のなのか判別できなくて、来年も再来年も混沌とした庭になるに違いないわ。


暑いから少し水を撒いてくる、と言って祖母は熱い通りの方へ出て行った。
祖母は、認知症気味だった。数秒前のことも覚えることができない病。それも死んでしまえば治るのか。不思議なものだ。我が家にいたころは、その症状が、まるで祖母の生来のもののように見えて、家族たちはいらつき、大声で叱責したものだ。わたしもそうだった。つい先ほどとったばかりの食事を忘れて、もう一度作り直す。火をつけたのを忘れて、台所の壁を焦がす。わたしたちの命に関わることも、祖母自身の命に関わることも起きた。それを病の、症状のせいだと頭では分かっているのに、感情は抑えられなかった。大声で注意すると、祖母は一瞬縮んで、そして忘れてしまった。老人虐待なのか、そうでないのか。愛しているのに、うとましく苦々しい。全方向から愛に関する様々な苦悩が訪れて、わたしたち家族をなじった。祖母は、そうした家の中で倒れた。意識がとぎれる間際、息たえだえに、延命措置を拒否した。何もかも忘れてしまうのに、生きていたくない、という思いはずっと、底の方に流れていたのだろう。


あるとき、死んだ祖母から父宛に便りがとどき、新しい土地で新しい生活を始めた、と書かれていた。名まえをキヨから「え麩」に改め、生前したかったことをしようと思う。もう死んで、血縁もなく、家族でもないから、訪ねるときは母さんと呼ばずに、名まえで呼んでほしい、とあった。
 父はわたしに電話をよこし、祖母を訪ねてみてくれないか、と相談してきた。どこまでのことを覚え、どこまでのことを忘れているのか。どの程度傷ついてしまったのか。何十年もかけて与えられた愛に対して、数年のあのひどい仕打ちをしたわたしたちが、どんな言葉で会話できるというのか。父の考えていることは、そのままわたしの考えていることであり、その依頼もすぐに引き受けることはできなかった。


祖母が撒いた水が、日射と地熱で温められて、蒸発し広がってゆく。庭の奥から、少し涼しい風が吹いて、通りの方へ出てゆく。空の如雨露をもって、祖母は戻ってきた。神社の端の方まで撒いてきた、と言った。


洋は来ないのね。


うん。


来てほしいわけでもないから。あなたも、無理にきたの。


来たくて来たんだ。


誰かに来てほしくて、手紙を送ったんじゃないのよ。強がりとかではないの。わたしが新しい生活をしていることを、伝えたかったという、それだけのことで。まさか、来るとは思わなかったわ。しかも花火の日に。もしかして今晩、観に行くの。


観に行かないよ。


そう。帰りはどうするの。


どうにかなるよ。


タクシーを呼べばいいわね。電車はもうないから。花火の日は、本当にみんな朝から働かないのよ。わたしも今日は留守専門で、裁縫の仕事はしないの。


儲かってるの。

そんなわけないじゃない。素人がミシンでやってるだけよ。年寄を哀れんで、近所の人が裾上げ頼んでくるの。最近は独身の男の子が多いから、それだけでも結構数はあるの。駅前にテーラーがあったでしょう。あそこのおじいさんが、細かいことができなくなったからって仕事を分けてくれることもある。


目は良くなったんだね。


そうね。眼球を洗濯したように、きれいに見えるわね。針に糸を通せるし。新聞も、虫眼鏡があれば大体読めるし。


毎日充実してるんだね。


してるもしてる。今は、相撲と朝顔。秋には、お隣さんに稲刈りに連れて行ってもらうの。わたしはよぼよぼだし、何の手伝いもできないんだけど、おにぎりを作って、お昼にみんなで食べる。冬は、戸を締め切って新聞のクロスワードパズルをするのが楽しみ。そうそう、去年の冬に小さな犬を飼ったの。今日は花火だから、山へ隠れているけれど。


どれもこれも、祖母が生前にやりたかったことなのだろう。本当に、ささいな、手の届く範囲の幸せだったのに、わたしたちはどれほど大きな障害になっていたんだろうか。その障害だった張本人であるはずのわたしが、何不自由なく暮らしていることがかなしい。


父さんに、と言いかけて、慌てた。洋さんに伝えること、何かある。
 祖母は、少し考えて、ないわね、と言った。


わたしには。


ないわね。


長居すれば、またわたしは、祖母の何らかの障害になるのではないだろうか。沈黙している町は、何も答えることはない。わたしを歓迎もしない。追い出しもしない。ただ熱風が通りを横切り、去っていくだけだ。


そろそろ、帰るね。


そう。


え麩さんに、聞きたいことがあるんだ。


何かしら。


え麩さん、小さい頃、巻き毛をばかにされて、いじめられてたって言ってたでしょ。そして、いつもかばってくれた子がいた、って。


うん。日に焼けた肌の、目の大きい女の子。


その子、何年かあとに引っ越した、って言ってたよね。


うん。


どこに引っ越したの。


祖母は、うなりながら、思い出そうとしていた。


名まえは覚えてないかな。


そうね、と苦しそうに言う。覚えていないわ。名まえも、引っ越し先も。とても仲良くしてもらったんだけどね。あんまり昔すぎて。


わたしは、礼を言って、祖母の家を出た。来た時の道をそのままたどり、駅に着いた。駅は、がらんとしている。改札もとじられている。構内には誰もいない。みんな、花火の町に行ってしまったのだろう。待合室の窓をあけて、ベンチに座り、呼んだタクシーを待った。


わたしが父の依頼を受けたのは、父のたっての願いだから、ではない。自分が、単に祖母に再会し、懐かしみたかっただけではない。祖母が死によって課せられているものを確かめたかった。生前の記憶が、しがらみになっていないだろうか。晩年は幼い頃の話を幾度も繰り返した。死後、どの程度忘れるのだろう、覚えているのだろう。だが、祖母は、健康的な忘却と記憶で、明るく生きている。そう見える。ああ、それでいいのだ。
 わたしたち家族は、祖母にもう何をしてやることもできない。謝ることも、償うこともできない。ただ、今のえ麩としての生活を、思う存分に送ってもらいたい。わたしたちのした仕打ちを忘れなくてもいいんだ。そして、積み重ねた愛は忘れてもいいんだ。祖母は、いつもと同じように自分のやり方で生きているのだ。それを知りたかった。祖母が幸せであることが、わたしや家族を苦悩から救う。その瞬間に、本当のお別れがくるんだ。
 タクシーがやってきて、後方のドアがゆっくりと開く。立ち去る待合室のベンチに青い花の種を、最後のささやかな贈り物として、置いて行く。