眠りはだれにでもおとずれる
ねむの木に花がさいていた。
おさないころ、ねむの木は夜眠るのだ、と聞いたことがあった。木が眠るとは、まるでおとぎばなしに出てくる植物の話のようで、遠いくににあるのだと思っていた。
夜にひらく器官。闇をとざすための目蓋。
ある日、めぐの家をたずねると、窓のそばにおじぎ草の鉢が置かれていた。ほら、さわるとおじぎするのこの草は。ふれるとゆっくりと折れてゆく。かぼそい茎。息をころして見つめている数十秒にみちている、遠いくにの空気。ふしぎな植物がこんな身近に、めぐの家にある。おじぎ草こそが、幻想的な遠いくにへの足がかりになる気がしていた。
眠る木。
眠る草もある。
ある日、ゆうこさんが、ほのおのように燃え盛る、花の絵を見せてくれた。それは、こずえに火の粉をちらし、冷たい風に繊細に食い込んでゆくように見えた。ねむの花を描いたの、と彼女が言って、わたしは初めてねむの花を見た。あの木は、炎のような花をもつのか。こんなに激しい色とかたちをした花も、夜になればねむる。
昨日、花がさいているねむの木を見つけた。夕暮れの大気の中に、融けるように佇む。絵の中の花より柔らかそうに見えた。優しいあの人が花に投影したものを考える。あつい最中にさくならば、やはり激しい気質だろうに。
それでもねむるのか。
おだやかな夜を、だれもが過ごせるのか。
わたしは夜、木のある場所へゆく。遠いくにへゆく代わりに、眠る木を訪ねる。夜のくらがりのなかに、眠りはみえない。やすらかな呼吸のおとが、家々の奥から漏れている。葉の影が闇よりいっそう濃い。わたしは目をとじる。暗がりは暗がりに転じ、夜がわたしの眠りとなる。