silentdogの 詩と昼寝

詩をおいてるばしょ。更新はきまぐれ。

祖父の花見

 

 祖父は7年ほど前に亡くなった。かぞえてみて、もうそんなに前のことなのか、と驚いた。頑固で我が強く、見えも張るが、一本つよい芯が体の中に入っていて、というのは祖父の世代の人ならば誰でも通じるところがあるのかもしれない。祖母にはよく手をあげたようで、すこし認知症気味になってからは、今とばかりに祖母も意地悪い接し方をしていた。怖かった祖父も、その頃は好々爺のようににこにこしてばかりで、わたしの目には祖母がとてもひどいことをしているように感じられ、よく責めたものだけれど、そのたびに悪びれた感じもなく「これはわたしの復讐なの」と返答された。けれど亡くなる数日前なぜか祖父は祖母に「今まで悪かったね」と一言謝り、祖母は泣いて、すっかり許したらしい。祖母は張り合いがなくなったのか、その後認知症気味になり、昨年お風呂で溺れたのをきっかけに亡くなった。

 夫婦の間には深い溝があって、その間が埋まる(本当に埋まったのだろうか)経過を観ていたわたし自身については、祖父、祖母それぞれと、とても仲が良い友人のようだったと思う。年老いて歩くこともままならない、深山歩きの好きな祖父をなぐさめようと、近場のさまざまな場所へ連れて行った。海辺、草原、山への入り口。喜ぶだろうかと思ったが、そのたびに祖父は山へ入ることができない絶望感を強めたようで、今思い返すと胸が苦しい。

 亡くなる前の年、家の裏にある神社の前にある桜が、例年以上にうつくしく咲いた。仕事がそれほど忙しくなかったので、暇があればそこへ行って写真を撮った。ああ、こんな日も寝床にいるような祖父にも見せてやりたいものだ。そう思って、すぐに家に引き返し、無理矢理起こして、面倒がる祖父に杖をもたせ、よたよたと歩かせて、神社に連れてきた。祖父はしばらく観ない桜の有様に、とても喜んで、石の上にすわりその景色を長いこと眺めていた。そして、傍でカメラを持って花ばかりを撮っているわたしに、「俺も撮ってくれ」と言って、杖に全体重をかけて力強く立ち上がった。そして、石の上に立ち、ふんばり、直立不動の姿勢をとった。ふにゃふにゃと笑う最近の姿と打って変わった様子にわたしは驚いて、ただ事ではない気がして、すぐに写真をとった。何枚か撮ったが、どれも真顔だった。笑っていないのだった。デジタルカメラのデータをその場でみながら、怖いような悲しいような気持ちがして、はじめはいくらでも撮ってやろうと思ったのに、手が止まってしまった。空気も冷え始めたこともあって、祖父に帰宅をうながし、花見は終了した。祖父の花見はこれが最後。

 その写真をみかえすと、あのときに祖父が何を思っていたのか、色々考えさせられる。昔いじめた妻にいじめかえされて肩身が狭い。行きたい場所へも行けない自分が情けない。トイレにも満足に行けなくてプライドがズタズタ。俺にはもうこの家で何か言うことができない(発言力がないという意味だと思う)から、とベッドの上で笑いながら言っていたのを思い出す。

 この時期になると毎年、あの日祖父と花見した時間が思い起こされる。冬から解放されて嬉しい反面、もの悲しく泣き出しそうになってしまう。生きるって何なのだろう。祖父よ祖父よ。わたしはあなたの晩年を、よいものにしてあげられなかった。あの桜を見せたことが、どうにもならない体や状況の中でできた精一杯なことだった。それ以外の、日々の生活の中でのわたしの無力さがいくら考えても悲しい。

 昨年祖母が亡くなったときも同じ無力さを感じた。老いてゆく友人たちに、できることならば、この命の若さをゆずってあげたい。生活し、行きたいところへ行き、誇りを失わないための若さを、できることならばゆずってあげたかった。

 わたしは、本当に遅れてきた友人だった。何十年も経たなければ、わたしは彼らに会いに行くことができない。

 

 

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