落涙のとき
世界中の匂いが
花や果実で占められるときがくる
世界中の泥が
ぬぐいさられるときがくる
光、
光がおとしてゆく影
その重みを
土は受け止める
かがやかない
片側の真実を
受け止める
わたしは軽やかではない
明るくもない
脈打ち、にぶい波を放ち
涙が流れて
土にしみる
落ちたその痕は黒く
黒く
より黒く
そして
世界中が花の香りで占められた今日よ
天狼のある部屋
あおじろくもゆる焔は
人々がそれを幾千度、と話すとき
あのあおざめたくちびるの温度と、どのあたりで平衡するだろう
ふるい冷蔵庫がごくりとのどをならしている
これほどまでに冷えた部屋は星のよう
拡散しない冷たさは、硬いと言っていい
温度計を手に鉄塔の上から透視すれば
今日この町は星図のようだろう
なかでもひときわ輝くのは
天狼のページが開かれている、この部屋に違いない
37度近い体温のわたしの末端がもえるように冷えている
乾く喉のために水をくむ
このぬるさは闇でも光でもない
広大な真空そのものの感触
*
ときどき、自分の好きな詩を読み返します。
「天狼」は本当に美しい詩だと思います。今月、鈴木漠さんの詩集をあらためて読み返していたのですが、新しく発見することや、初めて理解できたこともありました。ずいぶん前に古本屋で買った連句集も、ようやく読みたいと思うようになりました。
歳をとったせいなのかな、と考えています。
ある朝
その日の朝はうすくかなしい匂いがしていた
すがすがしいの意味を考えていた
不安なような
もはや何もかもどうでもいいような
けれど水を飲まなければいけない気がして
うすぐらいキッチンで水を飲んだ
家を出て
点描された風景のなかを歩いて
みんなのところへ行く
かたちが散ってゆくまぎわの街の上に
千の青色がかさねられた空がおりてくる
いきすがら
外をごらんよ、と母に伝えたいと思った
けれども多分あまり意味がない
白い湖の真ん中で
みんなは舟に乗って待っていた
わたしはときおり濃淡がかわる灰青の点を
飛び石のようにふみすすみながら
舟へむかった
そしてもう一歩のところで
そとをごらんよ、という音が
反射する水面になって
まぶしくわたしをつつんだのだった