silentdogの 詩と昼寝

詩をおいてるばしょ。更新はきまぐれ。

棲息区域

 

もう旅はしたくない、と思った

 

サンクチュアリ

蓮のかおりがすこし漂っている

 

誰かがさしのべる手のひらは

あたえられる権利のように

まぶしく見える

 

でも・・・

 

「旅はいいものだよ」

 

でももう旅はしたくない

からだにくみこまれたルートがある

空虚で機械的な道だけれど

この身を委ねたい

 

ロータスイーターのいる池

おいていかれた鳥の一匹と

水に映る満月をながめている

 

 

天狼のある部屋


あおじろくもゆる焔は

人々がそれを幾千度、と話すとき

あのあおざめたくちびるの温度と、どのあたりで平衡するだろう

 

ふるい冷蔵庫がごくりとのどをならしている

 

これほどまでに冷えた部屋は星のよう

拡散しない冷たさは、硬いと言っていい

温度計を手に鉄塔の上から透視すれば

今日この町は星図のようだろう

 

なかでもひときわ輝くのは

天狼のページが開かれている、この部屋に違いない

37度近い体温のわたしの末端がもえるように冷えている

 

乾く喉のために水をくむ

このぬるさは闇でも光でもない

広大な真空そのものの感触

 

 

ときどき、自分の好きな詩を読み返します。

「天狼」は本当に美しい詩だと思います。今月、鈴木漠さんの詩集をあらためて読み返していたのですが、新しく発見することや、初めて理解できたこともありました。ずいぶん前に古本屋で買った連句集も、ようやく読みたいと思うようになりました。

歳をとったせいなのかな、と考えています。

 

ある朝

その日の朝はうすくかなしい匂いがしていた

すがすがしいの意味を考えていた

不安なような

もはや何もかもどうでもいいような

けれど水を飲まなければいけない気がして

うすぐらいキッチンで水を飲んだ

 


家を出て

点描された風景のなかを歩いて

みんなのところへ行く

かたちが散ってゆくまぎわの街の上に

千の青色がかさねられた空がおりてくる

いきすがら

外をごらんよ、と母に伝えたいと思った

けれども多分あまり意味がない

 


白い湖の真ん中で

みんなは舟に乗って待っていた

わたしはときおり濃淡がかわる灰青の点を

飛び石のようにふみすすみながら

舟へむかった

そしてもう一歩のところで

そとをごらんよ、という音が

反射する水面になって

まぶしくわたしをつつんだのだった

 

 

ナビゲーション

 


“山猫”を訪ねたが、今日は閉まっていた

うまいものが食べたいという思いが強すぎて

自分の道が狭まっている

そう感じることが多くなった

 

なんでもいい

腹を満たせれば

 

そういう態度で昼も夜も生きれたら

わたしの道は

この町を包み込むほどに広がるだろうと思う

 

 

 

 

15時


クズとカスのどっちが上か、という話を

ベランダで話していた

 

クズっていうと、たとえば野菜くず、とか言うじゃない

まだ何か使えそうな気配がある

まだそれそのものの魂を失ってない感じするけど

カスだと、必要なものをしぼりとった後っていうか

なんかもう、用立たない感じだよね

スピリットがないっつうか

 

と言われてなるほどな、と思う

二人の間で

ののしりに、より有効な言葉はカスという協定が結ばれた瞬間だ

 

 

you

 

「われわれには水風呂はよくないのかもしれぬ」

 

「月曜日に入った水風呂のせいか

 土曜になっても調子が悪いのだ

 まったくこいつらときたら正直すぎるよ

 おれは水風呂がすきなのに」

 

夫は免疫異常の病持ちで

自分の細胞と自分が切り離された暮らしをしている

だから時々、一人称がわれわれになる

 

「われわれ、っていうけど、あなた自身のことでしょ」

「そうそう。おれは集合体なの。」

 

わたしは一人の男と結婚したつもりだったが

いまはとある細胞の一団と暮らしている